譫妄


   おれは酩酊を経験したことがない。酩酊とは、さぞ楽しくてキモチイイものなのだろう。というのもおれはまったくの下戸で、キモチよくなる前に頭痛や吐き気に押さえつけられてしまうため、連れに向けてとんでもない放言を繰り返したり、翌日にはそれをすっかり忘れてしまっていたり、前後不覚の千鳥足で大転倒、そのまま路地にて就寝、というところまで深酒をしたことがない。これはつまらん。実につまらん。一度は大酔の末に路上で鱶の如く眠り、通りすがりの陋劣漢に身ぐるみ全部はがされてみたい。無論そんな状況になる前に、嘔吐や割れるような頭痛に苦しむことになるだろうが、そんなのどうにだってなる。
   早速家に置いてあったウイスキーを持ってきた。まだ半分ほど残っているので、まずはこれを退治てしまおう。
   いかん、体が痒くてたまらん。まずい、既に中絶も辞さない、というような気分になっている。空の瓶が恨めしい。こいつのせいで、頭がくらくらする。もうこうなってしまえば、一切合切どうだっていい。ちと居酒屋に行ってくる。
   帰宅。ヘベレケヘベレケ。もう二度吐いた。一度目は居酒屋までの道中で、二度目は居酒屋の雪隠にて。心配するやつはみな大喝してやった。そしたら店主に追い返されてしまった。つまりまだ先ほどのウイスキーしか飲んでおらん。それなのにヘベレケ。楽しくはない。マイッタネ。他の居酒屋へ訪うとしよう。入店を峻拒されるようであれば、あきらめて市内の居酒屋を歴訪するのみである。
   一軒目、一見お断り。諦める。二軒目、へらへら笑っていたため気違いにカンチガイされたのか怪訝な顔をされ憤然と退店。三軒目、麦酒を一杯飲み、店の空気が気に食わず店を出る。道中嘔吐。四軒目、清酒を飲みつつ焼き鳥を食べ、嘔吐。追い出される。五軒目、見つからず帰宅。道すがら酒屋に寄り清酒を購う。その際に小銭をまき散らし周章狼狽の末に嘔吐。よいよい帰宅し、味のしない清酒をそろそろと飲んで、盛んにだばだば嘔吐。不貞寝。嘔吐過多により胃が焼けるようで中々寝つけず、しかしやがて眠る。十三時、目を覚ます。十五時、不承不承蒲団を出るものの、宿酔により眩暈。前後不覚を体験。再び眠り、二十一時起床。洗面台にて嘔吐。悔悟の念から暫時泣く。再度蒲団へ。早朝六時、目を覚ます。体が鉛の如く重くて参る。二日酔いが薄れてきた頃、風邪をひき、寝込む。手持ちの錠剤を手当たり次第服み更に眠る。熱が引くかと思いきや、さにあらず。未だ高熱。刀折れ矢尽き、捨て鉢に外へ出る。階段の中腹にて嘔吐。宿酔回復せず、とんぼ返り。養生に努める。医者に診てもらいに外出。道々四度嘔吐。診察を終え、帰宅すると座る間もなく電話。出てみると先ほどの医者が小さい声で云々。どうやら癌があるらしい。察するに余命いくばくもない状況。酩酊なぞもう懲り懲りだ。