あずかり知らぬ根性比べ

桜散り、綿毛が雀躍しはじめた頃、ようやく鬱然たる季節がやってきたことを知り、おれは少し戸惑っていた。陽は調子づき、まったく麗らか麗らか。光彩陸離たる羽虫や塵に、つまらぬ駅までのだらだら坂も鮮烈たる様相である。行き過ぎる人々の顔もなにやら浮…

救いのない話

鬼という鬼が例外なく黄色になり、恰好がつかなくなってしまった。鬼は人々の笑い種となった。あれほど我々に怯懦していた弱虫どもが、我々のカラダの色が変わったからといって、なぜあんなに威張れるのであろう。鬼たちは一様に、自らを鏡でとり囲み、反射…

宿替えの陥穽

アアラ、酷いねえ。アンタ、こりゃ酷いよ。まったく参っちゃうわよねえ、ここまでされちゃうと、サスガにねえ。たしかに入居するときに「好きに生活して構わないからね」と言ったのはワタシだけどねえ、限度ってもんがあるでしょう。ほら、壁もなんなのアレ…

不良犬と方正犬

思えば強慾な犬であった。私が菓子なぞを食べていると、目覚めているときはモチロン、眠っていてもやにわにパチリと目を開け私の傍らに取り澄まして座りやがる。穏便に分けてもらおうというつもりも少しはあるのだろうが、私が菓子を落としてしまったりする…

啞のフリする娘っ子

虎を見せろ。虎を見せろよ。赭顔酩酊の如く、太陽のような禿頭の老体が、そういって柳眉をデタラメに曲げた娘に肉薄している。虎を見せろってば。いい加減虎を見せてくれてもいい頃合いだろう。赭顔窒息の如き老人、そういう。娘はもはや柳眉とすらも言い難…

天才

まったく太陽とは煩わしいものである。澄明な青空を拝んでいると、やけに目端で自らを主張してきやがるし、夏だとやり過ぎなくらいに騒ぎ立て、冬だと酷く痩けてあるのかないのか分からない。加減というものを知らぬ。旭も夕焼けもキモチワルイ。だのにあの…

狂ったケモノ

海外に比べて狼害の少ない日本で、ニッポン固有の狼が絶滅したのは、当時蔓延していた狂犬病が大分関係しているだろう。存外温厚な尋常の狼と違って、病狼は大いに兇暴で、だらんとした目で人間を見つけるや否や、奇矯な鳴き声をあげながら飛びかかったそう…

いざ太陽へ

おれは太陽に行くためならどんな艱難でも堪えるつもりである。太陽には草木がないという。ああ悲しいことだ。おれは太陽に梨の木を植えにいくのだ。ロケットは既にある。食費を切り詰めてなんとか金策し、先月ようやっと宿願叶って購えたというわけだ。そこ…

譫妄

おれは酩酊を経験したことがない。酩酊とは、さぞ楽しくてキモチイイものなのだろう。というのもおれはまったくの下戸で、キモチよくなる前に頭痛や吐き気に押さえつけられてしまうため、連れに向けてとんでもない放言を繰り返したり、翌日にはそれをすっか…

変身

苦しげに呻きながらおれの頬に当てがった女の爪が汗で滑って偶々おれの頬を引っかいた。傷口は唐突に外気に曝されて驚いたように血を滲ませながら、ぴりぴりと震えていた。おれはくっついていた女を押し退けて洗面台へと駆け込み、気が狂ったかのように頬を…