あずかり知らぬ根性比べ


桜散り、綿毛が雀躍しはじめた頃、ようやく鬱然たる季節がやってきたことを知り、おれは少し戸惑っていた。陽は調子づき、まったく麗らか麗らか。光彩陸離たる羽虫や塵に、つまらぬ駅までのだらだら坂も鮮烈たる様相である。行き過ぎる人々の顔もなにやら浮きうきしているようで、アワアワしていたおれもまんざらでない気分になってしまって、次第に相好も崩れていった。見知った空き地の日陰で、凝然と構える猫の姿があるのもうれしく、歩調も自然と早まる始末。駅へ着き、切符を買って、尋常の如く改札を通った際、石を放られた鯉のように、切符をのみ込んですぐに吐き出す改札の様子が、やけに面白く思えた。ややもすると、改札は鯉なのではあるまいか。二六時中灯る蛍光灯や、駅の階段の決められた区分とアベコベに歩く子細顔の馬鹿、あふれたゴミに蝟集する蠅などに少々閉口しながら、しかし麗らか麗らか、今日はひとまず構わぬと、磊落なことを思っていた。やがて傲然と電車があらわれ、ホームの人々は騒然と、やけに剣呑な足取りで半歩進む。停車するまで待てば好いものを、半歩進むんじゃない。いやいや、麗らか麗らか。電車から数人の男が降りてきた。春だから、男だけなのだろうか。途端におれは春にやられて腑抜けになってしまった。なにかに駭魄するかのように呆けていて、中々電車に近づけぬままでいたのだが、発車のベルを聞いてやっと正気に戻り、周章して妙な匂いのする車輌に乗り込むと、トラバサミの如く、おれの足を捕えんばかりにドアが閉まった。春は皆んな舞い上がっていて、油断ならぬなと太息し、それから手摺りにもたれて、二十分ほどガタゴトと揺られながら気を張って佇立していた。春といわず、年がら年中腑抜けているような車掌の声が目的の駅を告げたとき、おれはすっかり疲れていた。気を張っていたからだけではない筈である。春は柔和らしく悠々と漂っているが、実情はさにあらず、なんのためかは分からぬが、人々の体力を見境なしにネコソギ強奪していくのだ。まったく油断ならぬ。電車が止まると、今度はトラバサミに冷や冷やさせられぬように真っ先にホームへ飛び出た。そして改札へと続く階段までの道々、自動販売機で水を購い、安心。おれは水を持っていると安心するのだ。福々たる心境のその折に、未だ発車せぬ最前まで乗っていた電車を、なんの気なしに見遣ったのだが、偶々目の合った乗客があった。すぐに目を反らすだろうと思っていたが、なにやら余裕のある憎たらしい表情をして、こちらをじっと見ていた。はて、如何にあのような顔をしているのだろうか、と他の乗客に目を移すと、またも憎々しく綽然顔。その横の男女も、後ろの老人も、子供も、果ては広告の俳優すらも、おれに向けた目元にあらぬ意趣を含んでいた。至極業腹であった。麗らかなことなど打ち忘れ、すっかりアタマにきたおれは、負けじと種々の乗客を睨めつけたのだが、彼らは至って物怖じせず、かえって余計にヘラヘラとおれを見つめていた。まるで降車したおれを落伍者だと思っているかのような目であった。知り合いと話しながらおれを見ている男は、そのとき「おいおい、アイツこんなところで脱落したぞ」というようなことを言っていたかもしれぬ。この野郎。電車で先へ行くことがそんなに偉いのか。馬鹿どもめ。おれはこの駅に用事があるから降りただけで、断じて逃散するわけではないのだ。よく分からぬ勝負におれを巻き込んでくれるな。第一お前らはそんな顔してどこまで行こうというのだ。古狸めが。春だからといって調子に乗るなよ。そんなに先へ行くのが得意ならば、一生電車を降りるんじゃないぞ。くそが。いつか殺してやるからな。などとおれは思い、忿懣遣る方ない心持ちになって、電車が行ってしまってから、購入したばかりの水を頻りに触っていた。
おそらくあのときに、おれが水なんかじゃなく、立派な拳銃が持っていれば、やつらにも嘗められずに済んだのだろう。馴れているとは言い条、おれ自身も水よりか拳銃の方が心強く思う。いくらはやく電車を降りても拳銃を持っているやつが結局は勝つのだ。総体に人生は拳銃を持ってさえいれば解決することがあり過ぎる。拳銃ひとつあればいいのだ。だからおれは今日から五百円玉貯金をする。五百円玉が万と貯まったら、拳銃を買う。法など知らぬ。やつらの命は、おれが拳銃が買えるだけのお金を貯めたら終いなのだ。覚悟しておけよ。麗らかがなんだ、春がなんだ。畜生。

救いのない話


鬼という鬼が例外なく黄色になり、恰好がつかなくなってしまった。鬼は人々の笑い種となった。あれほど我々に怯懦していた弱虫どもが、我々のカラダの色が変わったからといって、なぜあんなに威張れるのであろう。鬼たちは一様に、自らを鏡でとり囲み、反射した滑稽なバケモノを笑った。そして滑稽なバケモノが笑っていることに腹を立て、怒号を飛ばした。それから滑稽なバケモノが必死でなんぞ叫んでいる様を見て、傴僂のように背中を丸めて大笑した。気が狂ったのだ。気違いになると、生き物は兇暴になる。鬼も多分に洩れず、手当たり次第、猿を絞め殺し、猫を殴り殺し、蝶々を食べ、人に襲いかかった。しかしいくら兇暴といえど、気が違っているのだから、攻撃はメチャクチャである。動物相手だったら歯止めの効かぬ腕力でどうにかなるであろうが、武道を心得た人間にしてみれば、てんで格闘にならず、鬼たちは呆気なく空手の前に沈んだ。牢に入れられそうになり、這々の態で逃散した鬼は、皆んな符牒を合わせたかのように、山に籠りきりになってしまった。人目から離れて生活をやり直すというわけではなかった。気の触れた鬼が、そんなに平和かつ健気である筈がない。鬼は銘々湿った木下闇で膝を抱え、こんな筈じゃなかっただとか、羸弱たる人間めらに負けるなど慚愧に堪えないだとか、なぜおれたち鬼は黄色にだとか、いっそのこと皆んな色盲になればいいのにだとか、ボソボソと呪詛の如くに呟いているばかり。
次第に世情は変わってきた。黄色の鬼どものうらみつらみが堆積し、浮世に漂う窮窟な空気たるや。珍奇な黄色のカラダをしていても、鬼とだけあってその影響は凄まじく、海は濁り、魚は痩け、花々はただならぬ異臭を放ち、空は厚い雲に覆われ、蜂は常住坐臥嘔吐し続け、老人は寝たきりになり、子供は爬虫類の眼をして、それはそれは散々であった。
鬼はやがて衰弱して絶滅した。しかし鬼の怨念は未だ衰えず、浮世を益々わるくした。海からは波が消えて、汚いゼリーになった。魚は痩けに痩け、糸のようになった後、無くなった。花々は腐り、太陽は無くなった。蜂は嘔吐を苦にして自殺した。老人も子供も青年も中年も、太陽が無くなったせいで、凍りついた。もう、どうにもならぬ。地球は終わってしまったのだ。

宿替えの陥穽


    アアラ、酷いねえ。アンタ、こりゃ酷いよ。まったく参っちゃうわよねえ、ここまでされちゃうと、サスガにねえ。たしかに入居するときに「好きに生活して構わないからね」と言ったのはワタシだけどねえ、限度ってもんがあるでしょう。ほら、壁もなんなのアレ。なんて書いてあるの。ワタシには「臓器ありがとう」って書いてあるように見えるんだけど、まさか「臓器ありがとう」だなんてねえ。ワタシだってもうすっかり老眼になっちまってるから、見間違いだとは思うけどねえ。ア、やっぱり「臓器ありがとう」って書いてあるのね。あんだけ大きく書かれてたら、いくら老眼とは言えど見えるもんだねえ。まあ臓器がありがたい気持ちはワタシにも分からなくもないけどねえ。ワタシだってほら、もう若くないから毎日のように病院行くようになっちゃったんだけどね、いろんな臓器悪くして分かるのよ。人間、臓器なくちゃやってけないってねえ。しかしねえ、借家の壁に書くもの? アンタ、「鉛筆で書いた」とは言い条、あれじゃあしっかり跡は残っちゃうでしょう。たとえうっすらであったとしても、「臓器ありがとう」って書いてあったと知られちゃマズいのよねえ。世間体ってものがあるでしょう。ちょっとアンタ、ミルクティー飲んでんじゃないよ。人が文句つけてるんだからさあ。ところでアンタ、床に無数の穴ぼこが明いてるのはアンタがやったわけ? そうよねえ、前ここに住んでらした方は床使わない人だったから、床に穴ぼこが明く筈がないのよねえ。しかも無数にねえ。アンタ、フローリングだってタダじゃないのよ、分かる? 分かるわよねえ、アンタだって立派な大人だものねえ。この穴ぼこ深さはどれくらいなんだい? それによって埋めるか、張り替えるかが変わってくるのよねえ。アアラ、「とことん深い」のね? とことん深くちゃあ、埋めた方がかえって費用がかかっちゃうかも知れないねえ。ウーン、一体どうしてなの? どういうわけがあって、借家の床をとことんまで掘っちゃったわけ? しかも無数にさあ。「モグラがちょっと……」ったってねえ。アンタ、ここ動物の飼育は許してないんだよねえ。はじめに言わなかったかねえ。そうよねえ、言ったわよねえ。「飼っていたのとは違う」って言われてもねえ。じゃあなに、モグラが闖入してきて勝手に思うさま掘っていったってことなの? 床を? 外でもできることなのに? やや、「モグラが趣味でして……」って、そりゃアンタ、つまりは飼ってたってことでしょう? 駄目よ、言い逃れは。潔くないもの。男は潔くなくっちゃ。ワタシは潔い男が好き。それじゃあ、壁も床もアンタの勝手でこんなにしたってことでいいわね? もうこの調子じゃあ、ふたつとも新調しなくちゃだから、宿替えするなら四千万、ちゃんと耳揃えてワタシのところに持っておいで。そうでなくちゃ、棍棒でハチャメチャにしてやるんだから。まったくもう。アラ、そのミルクティー腐ってるじゃないの。「美味しいので……」じゃないわよ。アンタ、おなか壊しちゃってもいいの?

不良犬と方正犬


    思えば強慾な犬であった。私が菓子なぞを食べていると、目覚めているときはモチロン、眠っていてもやにわにパチリと目を開け私の傍らに取り澄まして座りやがる。穏便に分けてもらおうというつもりも少しはあるのだろうが、私が菓子を落としてしまったりすると一陣の風の如く、まるきりケモノといった身のこなしで食らいつき、それでも飽き足らぬ様子でまた私の近くで取り澄ます。満腹を覚る器官がオシャカになっているのか、餌を退治た後でも恬然として私には食物をねだり、犬売り屋で超小型犬という触れ込みで売られていた筈なのに、いまではすっかり中型犬くらいの大きさになっている。そのくせ安物の餌などには頑として手をつけず、早朝によそった餌を日が暮れてからようやく食べ始めたりする。それに困った母が少し高価な缶詰のささみかなんかを購ってきて、ドッグフードに混ぜていたが、丁寧に選り分けてささみだけ食べていた。徒労。とんだ美食家である。まったく憎たらしい。畜生風情が。更にあの犬はひどく臆病であった。剝啄の声を聞きつけるや否やびょうびょうとやりはじめ、客人が玄関に這入ってくると増して食らいつかんばかりに吼える。しかし見かねた私が抱き上げ客人に近づけてやると、情けなく怯懦し終いには小便を洩らす。カラのペットボトルや、見知らぬオモチャすらも恐れ、明後日の方を向きながらも横目でしきりに相手の出方を窺っている始末であったし、食べるかなと思い興味本位で抜けた髪の毛を差し出してみたら、必死で飛び退いていた。気を許した家の者には権柄づくに振る舞い、時にはしつこいくらいに甘え、かと思うと触れただけで唸ったりしやがる。まったく内弁慶の気分屋である。犬とは概してそのようなものなのだろうか? 先代の犬は至って従順で、誰が触ろうとメッタに吼えず、幼年の私が乱暴な遊び方をしても、飄然と躱して一米先で私を待っているような調子で、このナナという犬は私が小学生の頃に死んでしまった。母が中学生のときに神社で拾った犬だから出生は判然としないが、それでも間違いなく十九年は生きたそうだ。晩年は見るに堪えぬほど衰え、飯も碌々受けつけぬ有様であったのだが、ついにある寒夜に私と母が様子見にいったら、白目で硬直していた。それを聞きつけた叔母が自動車を飛ばして駆けつけてきたのだが、扉を開けて這い出てくる叔母の泣き方が異様極まりなく、ほとんど笑っているような慟哭であったため、頑是ない当時の私は「アベコベだ」とへらへら笑っていた。叔母は十中八九寿命であるのに、「私のせいだ。私のせいだ。」とわけの分からぬ自責の念に苦しんでいた。かくの如く取り乱した叔母に対して、祖父と祖母はやけに落ち着いていて、こればっかりは仕方ないのだと行動でもって言っているようであった。身近な親族の死というものを経験したことのなかった私は、そういうものなのかと悲しみつつも楽観していた。母の様子はまるで覚えていない。父はそもそもいない。
ケモノの粗暴さを寸毫も感じさせず、自若として落ち着き払ったまま死んでしまったナナと、横暴で憎たらしい小心者のワガママ犬の、この両極端しか見ておらぬから、私には未だアタリマエの犬が分からぬが、私はなにかにつけて甚だしい者の方が好きである。

啞のフリする娘っ子


    虎を見せろ。虎を見せろよ。赭顔酩酊の如く、太陽のような禿頭の老体が、そういって柳眉をデタラメに曲げた娘に肉薄している。虎を見せろってば。いい加減虎を見せてくれてもいい頃合いだろう。赭顔窒息の如き老人、そういう。娘はもはや柳眉とすらも言い難いほどに難渋した様子で、寒夜の如く緘黙している。無論娘は虎など持っていないのだから、虎を見せろと怒鳴りつけられたところで、コンワクしてなんの反応もできぬままだんまりになってしまうのもわけはないことであり、虎を見せろ。一刻もはやく虎を見せねば、わしは罪を犯す。大いに罰せられるべき罪を犯すことも吝かではない。言下に娘は岩石の如く緘黙し、表情もやや岩石めいてきていていつ岩石になってしまってもおかしくないのだが、老人は如何にも老人らしく老眼であり、娘は岩石になりかけていることなどまるで気づいていない。虎が見せられぬというのであれば仕方がない。ないものは見せられぬ。わしも痴呆ではないから、その道理はたやすく分かる。単純明快。わっはっは。ならば、どうだろう。虎の鳴きマネをしてもらおうではないか。それで納得して頂きたい。娘の相好もやや柔和になり、蒸した芋程度には見られるようになっているが、しかし乙女には羞らいというものがあり、見知らぬ老人に虎の鳴きマネを聞かれることほど居た堪れないことなど他にないのだから、もしそのようなことが起こったが最後、生涯嫁げぬというようなつもりでいるのであって、詰まるところこの娘は虎の鳴きマネなんぞをする筈がないのである。そんでふたりともウソみたいに飛ばしてるプリウスに轢かれて死んだ。それきり。

天才


    まったく太陽とは煩わしいものである。澄明な青空を拝んでいると、やけに目端で自らを主張してきやがるし、夏だとやり過ぎなくらいに騒ぎ立て、冬だと酷く痩けてあるのかないのか分からない。加減というものを知らぬ。旭も夕焼けもキモチワルイ。だのにあの太陽の自信はなんだ! まったく忿懣やる方ない。おれは四季問わず往来を行き過ぎながら赫々たる馬鹿太陽を睥睨し、その都度視力を損ねているのであるが、太陽なんぞに負けてはならぬと眼鏡のひとつも買わずに、判然としない景色を肩を怒らせ鼻息荒く驀進している。今日も今日とて憎き太陽はざんざんぎらぎらと路面を焼いて、野良猫を困らせている。おれは野良猫のきもちがよく分かる。空腹を感じているに相違ない。野良猫はいつだって腹を空かせているものなのである。畜生、野良猫にも腹が立ってきた。おれは少々暑さで頭が回らず、身内に飼っている疳の虫のアツカイに往生している。模糊とした視界もその原因であるだろうから、おれは肺肝をくだく思いで眼鏡屋に向かった。
眼鏡屋では眼鏡をかけた女が眼鏡に囲まれながら笑っていた。白痴である。しかし夏に於いてはみんな白痴になるのだから、別段気に留めなかった。手頃な眼鏡を都合してもらおうと白痴の女に話しかけたら、女はオムライスを運んできやがった。ここは洋食屋かコノヤロウ。おれはオムライスの乗った机をひっくり返し憤然と退店し、帰宅の道すがら鯛を一万匹釣った。旬か否かなどおれには関係ない。釣り糸を垂らせば鯛が我先にと餌に食いついてくるばかりか、中には水面から飛び上がり、おれの横にぼたっと落ちて、むやみに跳ねることもなくすっかり堪忍したかのように目を閉じてじっとしている鯛もある。そしておれは一万匹の鯛を袋に詰め、業者に八億円で売りさばいた。おれにはどうやら釣りと取り引きの才があるらしいから、日々こうして糊口を凌いでいるのである。

狂ったケモノ


    海外に比べて狼害の少ない日本で、ニッポン固有の狼が絶滅したのは、当時蔓延していた狂犬病が大分関係しているだろう。存外温厚な尋常の狼と違って、病狼は大いに兇暴で、だらんとした目で人間を見つけるや否や、奇矯な鳴き声をあげながら飛びかかったそうである。だから人間たちに殺された。しかし病狼といえどこれは普段と変わらず、とんでもなく素早く、野生らしい手練手管を弄して攻撃してきて、ほとんど捕らえようがなかったために、人間が襲われて撃退した例は数えるほどしか見当たらず、その微少たる勇猛な伝聞の中でも噛まれながら撲殺するものの、あっけなく感染し発狂の末にやがて衰弱して死んだ例などがあるので、病狼と逢着した場合は、もうどうもならんかったようだ。蛮勇な馬鹿が狼に意気横溢せんばかりの形相で挑み、間もなくヤラレ、狂犬病に罹ったり、痛手を負って死んだこともあったらしいが、これは自殺とさして変わらぬので、仕方がない。そもそもおれが人間ごときに退治される筈がないのだ。畜生、棍棒なんぞで殴りやがって、ぶっ殺してやらあ。たしかに頃日のおれたちは具合が悪い。カラダが熱くてどうも頭が働かぬし、ふらふらしてたまらん上に、疳の虫が騒いで分別なくなんでも襲ってしまう。先日などはやけに腹立たしいやつが目の前にいたので、牙を剥いてかみ殺そうと突進し、ようやくそこでそのトサカにくる相手が松の木であることに気がついた。大木に思うさま頭つきしたせいで、数日はくらくらと不便で仕様がなかった。おれの仲間は気がついたら海を襲っていたらしく、海水でしとどに濡れて震えていた。仲間とは言い条、あいつはおれのことを軽視しているらしい。こともあろうに牙を見せ威嚇してきやがる。女共もおれとの交尾を峻拒する。というより、まったく取り合ってくれぬから、おれが損なわれている感じがして、業腹である。少々気分はわるいが、なんとなく居た堪れないので、山路を歩いてみることにした。時折目端ではためく苛立たしい影に突進しながら、随分と長い間歩いたものだ。辺りがにわかに開け、そこが人里だとすぐに分かった。市井にはぼろを着た女が歩いてどこかへ向かっていた。くそが。どこに向かってやがる。あんな行くあても分からぬ女は殺してしまおう。おれは鼻を鳴らし、猛る気持ちを寸毫も治めぬまま、女に向かって駆けた。すると足音に気づいたのか、女はちらとこちらを見て、やにわに怯懦に顔を歪ませながら鋭く悲鳴をあげたかと思ったら間もなく絶入した。なんじゃそりゃ。下らん、気絶なぞほとんど死んでいるようなものである。わざわざ殺すまでもあるまい。おれは失速し、女の周りをくるくると調べた後、再び森へ引き返した。丁度その折、見知らぬ狼が木下闇から飛び出してきて、大いに喫驚した。やけにぞんざいなアイサツだなと思いながら、忿懣たる気持ちを鎮め、通りがけに目礼しようとしたら、見知らぬ狼はおれに向かって全身を投げうち体当たりをしてきた。しばらく目の前がぱちぱちとシロクロして、中々起き上がれずにいると見知らぬ狼は逡巡もせずおれの首元に噛みついてきたやがった。共食いなぞ、倫理に反する。しかしこの狼にはそんなことまるで関係ないようである。というのもおれは狼なんぞではない、ただのつまらぬ猪だからなのである。所詮、眼前で躍る狼の狂態に竦んでしまうような、大いにつまらぬ猪なのである。自らを病狼だと思い込んで乱暴狼藉を働いたところで、そうした一切の尽力の出口は落胆であるとはなから決まっていて、それはやはりおれが狼ではないからなのである。おれのような猪風情が狂犬病に罹る筈もなければ、人を食らうわけもないのだ。狼の雌と交尾ができるわけがないのだ。従ってこの狼は倫理に背いて同胞を食らっているのではなく、ただ狩りをしているだけなのである。

いざ太陽へ


 おれは太陽に行くためならどんな艱難でも堪えるつもりである。太陽には草木がないという。ああ悲しいことだ。おれは太陽に梨の木を植えにいくのだ。ロケットは既にある。食費を切り詰めてなんとか金策し、先月ようやっと宿願叶って購えたというわけだ。そこで少し欲が出てしまい、ロケットの外観に随分とこだわって、塗装などに費やしたせいで、燃料を買う金がなくなってしまった。しかしこんな些事で折れるおれではない。燃料などなくとも空は飛べるのだ。だからそう悲観すべきことではない。さて、隣人の庭で凛然と構えている梨の木を引っこ抜き、十分に睡眠をとったおれは、敢然と操縦室に乗り込んだ。するとやにわに鹿が現れ、機内に闖入してきたが、闊達なおれは無礼な鹿を海容し、虚心坦懐、太陽に出発したのである。母なる大地との惜別を済まし、乱雲を分け太陽へと驀進していた途中で、重力に顔を歪ませていた鹿がとうとうぺしゃんこになって絶命してしまった。やはり鹿は地球から離れられぬのである。はやくも同志を失い、蒲団にくるまって泣きたいような沈鬱な気分であったが、くそ、負けてなるものか。宇宙に出た頃には、鹿の死体は散り散りになっておれの周囲を舞っていた。これからの宇宙遊泳、栄養を欠かしてはならん。おれは血なまぐさい鹿の肉をなんとか飲み下し、しばし眠ることにした。最前食べた鹿が蜂に刺されて泣いているところにトラックが突っ込んで、鹿が散り散りになってくたばる夢を見た。おれは起き抜けに大笑して、喉を少し痛めてしまった。咽頭にかさぶたができてしまったらどうしよう。そこでわたしは女になることを決意したの。湯女になり安息なき世の殿方を慰藉して差し上げましょうってね。そしてわたしは乗っていたファンシーなロケットを捨て地球に戻り、温泉を開いた次第です。女将兼湯女としてこれから頑張っていきますわ。是非いらして下さいね。

譫妄


   おれは酩酊を経験したことがない。酩酊とは、さぞ楽しくてキモチイイものなのだろう。というのもおれはまったくの下戸で、キモチよくなる前に頭痛や吐き気に押さえつけられてしまうため、連れに向けてとんでもない放言を繰り返したり、翌日にはそれをすっかり忘れてしまっていたり、前後不覚の千鳥足で大転倒、そのまま路地にて就寝、というところまで深酒をしたことがない。これはつまらん。実につまらん。一度は大酔の末に路上で鱶の如く眠り、通りすがりの陋劣漢に身ぐるみ全部はがされてみたい。無論そんな状況になる前に、嘔吐や割れるような頭痛に苦しむことになるだろうが、そんなのどうにだってなる。
   早速家に置いてあったウイスキーを持ってきた。まだ半分ほど残っているので、まずはこれを退治てしまおう。
   いかん、体が痒くてたまらん。まずい、既に中絶も辞さない、というような気分になっている。空の瓶が恨めしい。こいつのせいで、頭がくらくらする。もうこうなってしまえば、一切合切どうだっていい。ちと居酒屋に行ってくる。
   帰宅。ヘベレケヘベレケ。もう二度吐いた。一度目は居酒屋までの道中で、二度目は居酒屋の雪隠にて。心配するやつはみな大喝してやった。そしたら店主に追い返されてしまった。つまりまだ先ほどのウイスキーしか飲んでおらん。それなのにヘベレケ。楽しくはない。マイッタネ。他の居酒屋へ訪うとしよう。入店を峻拒されるようであれば、あきらめて市内の居酒屋を歴訪するのみである。
   一軒目、一見お断り。諦める。二軒目、へらへら笑っていたため気違いにカンチガイされたのか怪訝な顔をされ憤然と退店。三軒目、麦酒を一杯飲み、店の空気が気に食わず店を出る。道中嘔吐。四軒目、清酒を飲みつつ焼き鳥を食べ、嘔吐。追い出される。五軒目、見つからず帰宅。道すがら酒屋に寄り清酒を購う。その際に小銭をまき散らし周章狼狽の末に嘔吐。よいよい帰宅し、味のしない清酒をそろそろと飲んで、盛んにだばだば嘔吐。不貞寝。嘔吐過多により胃が焼けるようで中々寝つけず、しかしやがて眠る。十三時、目を覚ます。十五時、不承不承蒲団を出るものの、宿酔により眩暈。前後不覚を体験。再び眠り、二十一時起床。洗面台にて嘔吐。悔悟の念から暫時泣く。再度蒲団へ。早朝六時、目を覚ます。体が鉛の如く重くて参る。二日酔いが薄れてきた頃、風邪をひき、寝込む。手持ちの錠剤を手当たり次第服み更に眠る。熱が引くかと思いきや、さにあらず。未だ高熱。刀折れ矢尽き、捨て鉢に外へ出る。階段の中腹にて嘔吐。宿酔回復せず、とんぼ返り。養生に努める。医者に診てもらいに外出。道々四度嘔吐。診察を終え、帰宅すると座る間もなく電話。出てみると先ほどの医者が小さい声で云々。どうやら癌があるらしい。察するに余命いくばくもない状況。酩酊なぞもう懲り懲りだ。

変身


   苦しげに呻きながらおれの頬に当てがった女の爪が汗で滑って偶々おれの頬を引っかいた。傷口は唐突に外気に曝されて驚いたように血を滲ませながら、ぴりぴりと震えていた。おれはくっついていた女を押し退けて洗面台へと駆け込み、気が狂ったかのように頬をゆすぎ続けた。爪には数えきれぬほどの得体の知れぬばい菌がこびりついていて、放っておくとどうなるか分かったものではない。知らぬ間に緑か黄土に変色した頬が腐り落ちて、歯や歯茎が丸見えになってしまうやもしれぬ。痩けた石鹸を使い切ってから寝室に戻ると、女はセーターの一枚も羽織らずに待っていて、「冬だから、堪えるわ。」などと言っておれを再び蒲団の中へ招じ入れたのだが、偶然とはいえ最前の粗相をまったく意に介さぬ女の様子に、おれは腸が煮えてしまい、かといって虐待を好まぬ性質であるため、むやみに暴行を加えたりはせずに、「謝るくらいなんてことないだろうよ。」と言って、女に背を向けたのである。女はおれの機嫌を損ねたことにようやく気づいたようで、こういうときに謝罪しようとてんで無駄であると知っているだろうに、あわてて早口に何度か詫びを入れてきたが、やはりおれが聞く耳を持たぬと分かると、すっかり不貞腐れてしまったらしくおれの背後でやおら自慰を始めた。おれは女のその見事な機転に感心してしまったが、ここで一変して女の行動を称揚するのもみっともないと思い、無視を決め込んで眠りの糸口を探していたのであるが、すぐ後ろからあんななまめかしい吐息が漏れ聞こえてきたら、情慾は騒げど、肝腎の眠気はだんまりを決め込んでしまう。おれはすっかり眠りを諦め、こうなれば寝返りを打つふりをして女の姿を盗み見てやろうと画策し、わざとらしい呻き声を上げながら、体を反転させたのであるが、一体こんなことありえるのであろうか。女の姿が見えぬのである。はじめは眼病を疑ったが、失明したというわけではなく、蒲団の横に置いてある座机と本棚、それとカーテンを閉めきった窓ややにの染みついた壁は尋常の通り明瞭に見えるため、その疑念は自然と霧散した。はて、女は帰ってしまったのだろうか。しかし未だに女の吐息や自慰の音ははっきりと耳元で鳴っている。まるでわけが分からぬ。無理やり都合よく考えるならば、どうやら女は肉体を消失してしまい、自慰そのものになってしまったようである。あまりに阿呆臭くて少し笑ってしまったのだが、頬の筋肉が動いたせいで生傷が痛み、途端に物悲しい気持ちになった。